凡人エリックの blog

いちこくみん「エリック」の思いを伝える場

もっと自分を大事にしたらどうだい?

何度も見てきたことだけど、今更ながら気になったので言いたい。
何で日本人は変にへりくだったり、下手に出ようとするのか?そしてなぜやたらと和や集団を重んじるのか?

 

会社勤めしていると、どうしても社交辞令とか年功序列などがあって上には逆らえないというのはある。何より給料がもらえるから、嫌な仕事でもとりあえず最後までやる。営業マンだったら特に新規開拓の際にはとにかく話を聞いてもらわなければならない。

 

コンビニや百貨店、レストランなどではよく「お客様は神様」という言葉が聞かれるはずだ。それだけ日本では「おもてなし」が非常に重視される。そしてそこで働いていないお客様や第三者はそれを見て好感を持つ。

 

一方、何かあるとよく我慢が求められる。仕事中体調が悪くてもすぐに帰してもらうのは難しい。お客様からクレームがきたら、よほど行き過ぎたレベルでない限り、黙って平身低頭で謝罪するのみ。また、社内のルールなどでどうしても我慢できなさそうなことがあると、「俺も我慢しているからお前も我慢しろ」と。

 

学校でも例えば部活で監督や教師に怒られると連帯責任を負わされることが多い。そして監督もさることながら上級生に対しては絶対服従という慣わしのある学校も少なからずある。

 

道徳の教科書でも見たことがあると思うが、「星野君の二塁打」は最悪なケースだ。
大事な場面で監督の送りバントのサインよりも自分の力を信じて強打したら、決勝点になってチームは全国大会に出場できたが、それでもサイン無視が原因で大会には出られないことになってしまった。これなどはまさに「個より和を重んじる」にこだわり過ぎるあまり、自分で判断する習慣が持てなくなる。要は自分がなくなるということ。

 

だが最初から頭下げてばかりや集団を重んじてばかりというのも内心疲れるだろう。そして日本では職場でも学校でもそうしたストレスを発散させる手段や場が少ないような気がする。そしてストレスが高じて、後輩や立場の弱い人に怒りがぶつけられることが多い。そして言いたいことも言えない人は言えないままどんどん悪循環に陥りやすい。

 

ただ人間はみんな同じように権利を持っているはず。本来なら人間みんな対等なはず。年功序列とか取引関係などはあっても、最初から怯む必要はないのでは。言いたいことがあればはっきり言えばいい。その方が相手にも真意は伝わるというもの。

 

そのためには、もっと自分を大事にしたらどうだろうか。会社にいて、役職者がいるからその人が帰るまでは無為に残業しようといわれても、あるいはそういう暗黙の了解があっても、仕事上問題がなければ定時で即退社すればいいではないか。
付和雷同な人生で楽しいか?
自分が我慢していることを他人に強要したり、巻き込んで幸せか?
そうではない、もっと自主性を持とうよ。自分で考えようよ。時には「個より和を重んじる」ではなく「和より個を重んじる」でもいいのではないか。
自分を持たないと、自分を初めから下だと思うと、いいように利用されるだけ。

 

そして自分の持つ権利というものに気づこう。そう遠くはないうち、その権利というものがいかに大事な事か気づく時がくるはず。もしその権利が奪われたら必ず後悔することになるのだから。